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ハンス・モーゲンソー著、原彬久監訳
『国際政治―権力と平和 上』(岩波書店、2013年12月)
リサーチ・アシスタント・修士一年 乃坂龍誠
国際社会はいま、ロシアによるウクライナ侵攻、急速に軍事力を増強する中国の台頭、「力による平和(Peace through Strength)」を掲げるトランプ政権の再登場、混迷する中東情勢など、既存の国際秩序を揺るがす多くの出来事に直面している。第二次世界大戦後のリベラルな国際秩序は、自由や民主主義、法の支配などの理念や価値を重視してきたが、ここにきて「力こそ正義」とする弱肉強食の権力政治(Power Politics)が復権しつつある。
この世界的な潮流の中で、日本をはじめとする自由民主主義国家は、一方でリベラルな価値や理念を擁護し続けながらも、また一方で現実に広がりを見せる権力政治の本質を直視し理解することが求められている。その観点において、国際政治の本質を「権力闘争」として体系的かつ理論的に説き、「権力は常に直接目的」と喝破し、政治における「慎慮(Prudence)」を美徳として捉えたモーゲンソーの『国際政治』は、動揺する現在の国際秩序を理解する上で重要な示唆を与えてくれる古典である。
国際政治学の碩学、ハンス・モーゲンソー(Hans Morgenthau)はドイツで生まれたユダヤ系であり、法律家としてキャリアを積んだのちに、ナチスドイツから逃れてアメリカに渡った。アメリカではシカゴ大学を中心に、学術、政策の両面で戦後国際政治学を牽引した。本書はその著者を代表する古典的名著である。本書の内容と含意について、以下、要点を絞って概観する。尚、紙幅の都合上、本書を理解する上で重要な箇所に力点を置いている。
第一に、一章と二章で構成される第一部では、基礎的な国際政治の理論についてリアリズムに立脚しながら解説されている。はじめに、一章では著者の思想に通底する政治的リアリズムの六つの基本原則が記述される。それは、➀政治が人間性に根源を持つ客観法則に支配されること、➁政治家が常に、国家のパワーや利益を拡大するために行動すること、➂追求されるパワーや利益はそれぞれの国がおかれた環境によって決定されること、④あらゆる政治行動の結果を考慮する慎慮が至上の美徳であること、⑤特定の国が主張する道義は決して世界を支配する道徳律ではないこと、⑥力が定義する利益という概念において、政治の領域的自律性を主張すること、の6つである。次に、二章において学問としての国際政治の捉え方が説明される。そこでは本書の目的を、➀「国家間の政治関係を決定する諸力をみいだしてそれを理解すること」、➁「これら諸力がどのように相互作用しどのように国際政治の関係や制度に影響を及ぼすのか、ということを理解すること」と明確にし、同時に複雑で曖昧な現象を素材として扱うことに拠る研究対象としての限界も指摘する。その上で著者は、全面核戦争の危険性が表出した世界で優越的な立場にあるアメリカにおいて、国際政治を動かす要因を理解することは死活的であるとし、第一部を結んでいる。
第二に、三章から七章で構成される第二部では、「権力闘争」という観点から国際政治の本質に切り込む。この三章の書き出しこそ、まさしく著者の思想が「人間性リアリズム」と呼ばれる所以であり、その思想が最も濃く表れた箇所である。そこには、「国際政治とは他のあらゆる政治と同様に、権力闘争である。(中略)権力は常に直接目的である」と書かれている。国際政治も国内政治も結局のところは、本能的に権力を追求する人間によって構成されており、それ故に国際政治が優越的なパワーを各国が求める権力政治の色彩を帯びることは自明だと言うのだ。続く四章から六章は、三章で説明された国際政治の本質を前提とした上で、政治主体が採り得る三種類の政策を概観する。➀力の維持(現状維持)、➁力の増大(帝国主義)、➂力の誇示(威信政策)、である。それぞれ歴史から事例を抽出しながら、現実世界における権力闘争の様相を丁寧に描いている。七章では、往々にしてイデオロギーが政策の正当化に用いられることを指摘し、その識別の難しさに触れている。
最後に、本書を締める第三部は、八章から十章を含んでいる。ここでは、国際政治において追求されるパワーの姿を捉える試みが展開されている。はじめに八章において、個人の集合体であって、究極的には想像された共同体に過ぎない国家がパワーを求めるという現象をどう理解するべきか、説明がなされる。個人利益と国家利益が同一化する論理を、歴史の観点から紐解いている。続く九章は、国際政治学で多く引用される箇所であり、著者が考える九つの国力要素が解説される。それらは、➀地理、➁天然資源(食糧、原料)、➂工業力、④軍備(科学技術、軍事的リーダーシップ、軍隊の量と質)、⑤人口(分布、人口動向)、⑥国民性、⑦国民の士気、⑧外交の質、⑨政府の質である。それを踏まえて十章では、各要素を測定して評価する営みの困難さと留意点に触れている。とりわけ、地理的要因を絶対視する傾向にある地政学、国民性の観点のみで国力を説明しがちなナショナリズム、(特に量的な)軍事力に偏重する軍国主義の三つを、現代において人々が陥りがちな罠であると警鐘を鳴らしている。
国家間関係における「権力闘争」が剥き出しになっている今、国際社会の動きをより深く洞察するために改めて本書の価値に光が当たっている。(国際政治学者ケネス・ウォルツが言うところの)「第一イメージ」を中心に分析を試みるモーゲンソーの「人間性リアリズム」は、国際システムに重きを置く構造的リアリズムの視座から批判の対象となってきた。一方で、パワーへの欲求を剥き出しにする政治指導者が軍事力行使に傾斜している現在、モーゲンソーの議論に注目することの意義は言うまでもない。我々はもう一度、丹念に本書と向き合い、その主張や含意を学ぶべきではないだろうか。
以上